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石毛新兵衛・石毛治兵衛の遺跡 【市指定有形文化財】

更新日:2026年5月2日更新 ページ番号:0041133 印刷ページ表示

名 称:石毛新兵衛・石毛治兵衛の遺跡(いしげしんべえ・いしげじへえのいせき)
​指定区分:記念物 史跡
指定年月日:昭和52年4月12日
所在地:墓 清和甲727 永命寺/殉難地 清和甲1363-1
所有者:個人

石毛新兵衛墓所石毛治兵衛墓所

寛文年間 (1661~1673) の初め頃、松沢野のまぐさ場の入会権をめぐって、現在の清和甲、清和乙、香取市志高、古内との間で紛争が絶えず、各村は幕府に開墾を訴願していました。諸徳寺村(現旭市清和甲)では、名主の石毛新兵衛、石毛治兵衛の両名から事情好転の報せをうけ、立木を伐採してしまいました。許可を得ずに伐採したとして、幕府が村人を処刑しようとしたところ、両名は自らの責任を申し出て、寛文7年(1667)7月29日、斬首の刑に処せられました。永命寺には両名の埋葬された墓が、処刑された場所には碑が残されています。
永命寺内の墓所の南側に石毛新兵衛(写真左)、北側に石毛治兵衛(写真右)の墓があります。

殉難地碑

処刑された場所にたつ殉難碑

殉難地位置図

 

 

関連項目

永命寺の鐘楼 【市指定文化財】