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中島城(海上城)主一族の墓石 【市指定有形文化財】

更新日:2025年2月12日更新 ページ番号:0033950 印刷ページ表示

名 称:中島城(海上城)主一族の墓石(なかじまじょう(うなかみじょう)しゅいちぞくのぼせき)
指定区分:有形文化財 建造物
指定年月日:昭和56年4月10月
所在地:旭市松ケ谷2117 東福院跡墓地 
所有者:個人

中島城(海上城)主一族の墓石

千葉氏の支族である海上氏歴代の宮型墓石。中島城跡(銚子市)に隣接する称讃寺にあったものを、明治元年(1867)に廃寺になった際、海上氏の末裔(小長谷家)により松ヶ谷東福院(現廃寺)墓地(当地)に移したものです。宮形七基のうち、三基の墓石に「海上筑前守正恒 天正6年(1578)7月4日」、「妙誉光大姉 天正14年(1586)10月13日」、「海上重郎秀長 慶長3年(1598)2月5日」の銘が残されています。

(注)説明看板が下総式板碑(松ケ谷)と同じ位置にありますが、墓所の位置はそこから東に50メートル程先の場所となります。