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落花生の碑 【市指定有形文化財】
名 称:落花生の碑(らっかせいのひ)
指定区分:有形文化財 建造物
指定年月日:昭和52年1月25日
所在地:旭市鎌数4314 鎌数伊勢大神宮
所有者:鎌数神伊勢大神宮
金谷総蔵は弘化2年(1845)、代々名主として干潟地域の開拓に力を入れていた金谷家に生まれ、千葉県の落花生栽培を普及させた人物です。貧しい人々の暮らしを助けるため、村人と一緒に開墾に取り組んでいました。その頃、千葉県の初代県令(知事)柴原和が、落花生の栽培を奨励したことから、明治11年(1878)、総蔵は県から二升(約3.6リットル)の種を譲り受けてきました。
種まき、肥料のやり方など、さまざまな工夫をし、落花生の栽培に成功すると、農家を一軒ずつ回り、収益性が高く、将来性があることを説き、種や肥料の貸し付けも行いました。同時に、販路を開拓するため、東京の商人と売買契約を結びました。その結果、3年後には高い収入を上げる農家が出始め、やがて村全体に栽培が定着していきました。軌道に乗った落花生栽培は北総地域に拡大し、わずか6年のうちに千葉県を代表する産品になりました。
この総蔵の貢献を広く伝え残そうと、明治17年(1884)、地域の人々により、鎌数伊勢大神宮にこの落花生栽培の発祥を記した記念碑が建てられました。題字は幕臣、官僚として活躍した山岡鐵太郎(鉄舟)、撰文(碑の文章)は多古の儒学者である並木正韶(栗水)によるものです。総蔵はその8年後の明治25年(1892)に46歳でその生涯を閉じました。
没後には、明治39年11月9日に農商務大臣(現在の農林省)からその功績を称え追彰が授与され、銀杯が贈られました。
関連事項
鎌数の神楽【県指定無形民俗文化財】
あさひ輝いた人々 ※金谷総蔵は17ページ目に掲載されています
交通
JR総武本線「干潟駅」から徒歩20分