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旭市指定文化財の指定について

更新日:2024年9月13日更新 ページ番号:0032150 印刷ページ表示

新しい指定文化財を紹介します

令和6年(2024)8月の旭市教育会定例会において、旭市指定文化財の新たな指定が議決され、これを受け8月16日付で指定を行いました。今回の新たな指定により、市指定文化財の件数は115件となりました。

新指定文化財

 指定名称 濤川惣助関係七宝資料(なみかわそうすけかんけいしっぽうしりょう)
 指定区分 有形文化財(工芸品)
 員  数 一括(七宝60件、磁器16件)
 時  代 近代
 所 有 者  個人

 ※一般公開はしていません

 この資料群は、旭市出身の著名な工芸家である濤川惣助の作品に着目して蒐集された稀有なコレクションであるだけでなく、輸出の全盛期であった明治期日本の美術工芸の一様相を伝える貴重な資料であることから指定しました。

七宝荒磯鶚図額

「七宝荒磯鶚図額」(しっぽうあらいそみさごずがく)

 

七宝御紋付月芦雁図花瓶

「七宝御紋付月芦雁図花瓶」(しっぽうごもんつき つきろがんずかびん)

 

七宝柘榴図花瓶 七宝富嶽図皿

「七宝柘榴図花瓶」(しっぽうざくろずかびん) 「七宝富嶽図皿」(しっぽうふがくずさら) 

 

「七宝⻩蜀葵蝶図皿」 七宝⻩蜀葵蝶図皿

「七宝⻩蜀葵蝶図皿」(しっぽうととろあおいちょうずざら)

 

濤川惣助について

濤川惣助は蛇園村(現旭市蛇園)の出身で、明治時代に無線七宝の技法を完成させ優れた作品を残した世界的にも有名な工芸家です。当時七宝焼の主流となっていた有線七宝の技を継承しながらも新たな絵画的な表現を可能とした無線七宝は、国内外で高く評価されました。作品の多くが海外に輸出され、工房も一代限りだったことから現存する作品は多くありません。代表作は、明治42年(1909)に東宮御所として建設され、平成21年(2009)に国宝に指定された迎賓館赤坂離宮の花鳥の間の壁面を飾る七宝額です。

生家の菩提寺である還来寺には墓所が、生家には記念碑も建立されています。平成12年(1999)には海上町(現旭市)によって、没後90年顕彰祭が行われ、日本七宝協会展で「濤川惣助賞」が創設されました。

 

2023年の日本七宝協会の表彰式のようす 濤川惣助賞の木杯

左:2023年の日本七宝協会の表彰式のようす 右:濤川惣助賞の木杯 写真提供 日本七宝協会

 

濤川惣助年譜
元号 西暦 できごと
弘化4 1847 下総国海上郡蛇園村の農家浪川源左衛門家の二男に生まれる。
元治元 1864 18歳で江戸に出て小間物商をはじめ商売を営む。
明治10 1877 第1回内国勧業博覽会で七宝焼に出会い、尾張地方などの七宝の産地に赴き研究を重ねる。
明治11 1878 東京のアーレンス商会より七宝工場を譲り受け製造販売をはじめたといわれる。
明治13 1880 この頃、無線七宝の技法を発明。
明治14 1881 第2回内国勧業博覽会で有功二等賞を受賞。
明治16 1883 アムステルダム万国博覧会で最優秀賞。
明治18 1885 ロンドン発明品博覧会で金賞。
明治22 1889 パリ万国博覧会名誉大賞。
明治24 1891 明治宮殿千種の間に「七宝尾長鶏雌雄愛雛の置物」を制作。
明治26 1893 シカゴ万国博覧会で「白雪富嶽図額」が絶賛を博す。
明治27 1894 広島大本営駐留の明治天皇に「寰字無双図額」を献上。
明治28 1895 緑綬褒章受章。
明治29 1896 京都の並河靖之らとともに帝室技芸員を拝命。
明治33 1900 パリ万国博覧会、名誉大賞。
明治37 1904 セントルイス万国博覧会、最高栄誉賞。
明治40 1907 東宮御所(現迎實館)造営の花鳥図七宝制作完了。
明治43 1910 ロンドン日英博覧会、名誉大賞。同年2月没享年64。