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大原幽学遺跡 【国指定史跡】

更新日:2024年3月7日更新 ページ番号:0002402 印刷ページ表示

名 称:大原幽学遺跡 旧宅・墓及び宅地耕地地割(おおはらゆうがくいせき きゅうたく・はかおよびたくちこうちちわり)
所在地:旭市長部312他
所有者:旭市他

幽学遺跡

大原幽学の業績は、高く評価されるべきものであり、遺跡も学術産業に関するものの好例として価値があるとして、昭和27年、国の史跡指定を受けました。幽学の居宅であった旧宅、自害の地にもうけられた墓所、教導所である改心楼跡地、耕地整理跡地の水田である耕地地割などから構成されています。

耕地地割(こうちちわり)

長部村を中心に後半生を村の改革に捧げた「大原幽学」の旧宅は天保13年(1842年)に下総地方の信奉者たちが、住居兼教導所として提供したものであり、間口5間(約9m)、奥行き3間(約5.4m)であるが8畳2間に台所を付した簡素なものであり、設計は幽学自身が当たりました。
同年9月18日落成(新築の教導所は「改心楼」と称した)、幽学の説くところは、農村生活全般の改善に及び、協同組合の始まりともいうべき「先祖株組合」の創設、耕地整理等の農業生産技術の合理化など、村の向上に多くの寄与をしました。晩年幕府の嫌疑と弾圧を受け安政5年(1858年)御塚の地で自害しました。

幽学墓所

交通

JR総武本線「旭駅」から千葉交通バス「小見川」行き、「中和バス停」下車徒歩20分

リンク

大原幽学記念館ホームページ<外部リンク>


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