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椎名保さんへのインタビューとメッセージ
「絵画を通して地域の発展に貢献したい」

プロフィール
東京藝術大学日本画学科、同大学大学院修了。日本画家の巨匠・平山郁夫氏に師事。大学院修了の翌年「有芽の会」への出品作品が法務省買上。その後も平成4年に院展初入選、平成8年にジャパンフェスティバル招待出品など、数々の実績を持つ。創作活動の傍らで日本画教室を主催するなど、絵画の魅力を広く伝えている。
※楽画会の皆さんと。
子どもの頃から絵を描いていたのですか。
絵を描くことは好きでしたね。小学生の頃、けがをして身体を動かせない時期があったのですが、母が落書き帳を20冊ほど買ってきてくれて、夢中になって絵を描いていたのを覚えています。でも元々は体育会系なんですよ(笑)。市内小学校の陸上大会で私が出した走り幅跳びの記録が、今でも大会記録として残っているそうです。中学では陸上部に所属し、ハードルで全国大会4位にもなりました。
絵画の道へ進もうと思ったきっかけはを教えてください。
高校は県内の陸上強豪校に進学したのですが、そこで美術講師をしていた東京藝術大学の大学院生との出会いがきっかけでした。名門大学というのは私も知っていたので、学生証を見せてもらったときは本当に感動しました(笑)。その先生と親しくなり、家に遊びに行くようになったのですが、遊びに行ったときに目にした美術雑誌の作品が素晴らしく、その作者が藝大の教授だと聞いて一気に憧れが強くなりました。部活を引退後に藝大を受験することを決意し、高校卒業後3年までと決めていた最後の年の挑戦で、何とか合格できました。入学後はアルバイトを掛け持ちして、生活費を稼ぎながら絵を学び、大学院卒業後に予備校講師や画材販売などの仕事を経て、画家になりました。
旭市の風景も多数描かれていますよね。

そうですね。その中でも旭中央病院に飾られている2枚は、特に思い入れの強い作品です。「黎明」は刑部岬に昇る朝日を描き「展望」は刑部岬から見た夕焼けの九十九里浜と富士山を描いたものです。平成22年に制作依頼があり、半年間取材を重ねてから制作に着手しました。制作中に東日本大震災が発生したため、完成間際に波の描写を変更したりしたのを覚えています。絵を見た方から「飯岡漁港から見た景色ですよね」と言っていただいて、興味を持ってもらえたのがうれしかったです。
刑部岬と九十九里浜を題材に選んだ理由は。
旭市の大きな魅力の一つですからね。広大な砂浜で、朝日と夕日のどちらも見られる場所はそうありません。作品には「旭が発展してほしい」という願いを込めました。私は主なテーマを「光と風」としているのですが、飯岡刑部岬展望館に「〜光と風〜」という名前が付いていることにも縁を感じました。市内には素晴らしい題材が数多くあります。干潟八万石や龍福寺の紅葉も描いてみたいですね。
ほかには、どのような魅力がありますか。
やはり食べ物ですね。今は都内に住んでいますが、旭市産の野菜を見かけるとうれしくなります。妻と旭市に帰ってきたときには、スーパーを巡るのが楽しみです。おいしくて、都内より安くて、量も多い。ご近所さんから野菜や果物、魚介類などをいただくこともあります。人の温かさも大きな魅力です。幼い頃からの友人とは今でも付き合いがありますし、新しく出会った人ともフランクな関係を築けています。
今後、旭市にはどのようなまちになってほしいですか。
子どもたちが伸び伸びと育ち、一度地元を離れたとしても、また帰って来られるような活気あるまちであってほしいですね。旭市だけでなく周辺地域とも連携して、九十九里浜などの魅力を生かしていけば、この地域はもっと豊かになると思います。
図工・美術作品展の審査員など、市の取り組みにも関わっていただいています。
そうですね。小・中学生の図工・美術作品展は、私が市にお願いして始まったものです。もう10年以上続いていますが、受賞者の中から美大に進学した子もいると聞き、うれしい限りです。子どもたちには白い画面に向かってじっくり作品をつくる経験をして、創造力を育んでほしいと思っています。
旭市20周年へのコメント、市民へのメッセージをお願いします。
年齢を重ねるにつれ、故郷の温かさをより強く感じるようになりました。いつ帰ってきても安心できる、そんなまちであり続けてほしいです。旭市には若い世代で頑張っている人たちも多くいます。まちがさらに活性化していくよう、私も微力ながら協力したいと思います。
色紙メッセージ
展望 明るい未来に向かって

