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實川風さん、實川飛鳥さんへのインタビューとメッセージ

更新日:2025年10月31日更新 ページ番号:0038586 印刷ページ表示

「故郷に育まれた音で クラシック音楽の魅力を伝えたい」

實川さん

 

プロフィール 

 実川 風さん実川風さん
  
 東京藝術大学を首席で卒業、同大学大学院修士課程を修了。令和6年4月から同大学にて専任講師を務める。平成27年にロン・ティボー国際コンクール第3位(1位なし)、平成28年にカラーリョ国際ピアノコンクール第1位・聴衆賞など、多くの国際コンクールで入賞。現在も国内外で演奏活動を続ける、若手を代表するピアニスト。


実川飛鳥さん 実川 飛鳥さん
 
 東京藝術大学、同大学大学院修士課程を経て、グラーツ国立音楽大学修士課程を最高点で修了。平成24年に第2回ハノイ国際ピアノコンクール第1位、平成28年にマルタ・ディべッリピアノコンクール第1位など、国際コンクールでの上位入賞多数。地元旭市を拠点に、ピアノソロのほか、室内楽・歌曲伴奏など幅広い分野で活動。

 


ピアノを始めたきっかけを教えてください。

(風さん) 両親が「何か楽器を習わせたい」と思っていたようで、3歳のときにピアノ教室へ連れて行かれたのがきっかけです。父がクラシック音楽好きで、家ではいつもレコードやCDが流れていました。

(飛鳥さん)私は2年早くピアノを始めていた兄(風さん)の後を追うように、自然とピアノ教室に通うようになりました。「兄がやっているから自分もやりたい」というよりも、気付いたらピアノに触れていたという感じです。

プロを目指そうと思ったのはいつですか。

實川風さん(風さん)4〜5歳のときに「コンクールに出てみたら」と勧められ、思いのほか良い結果を出せたことで、本格的なレッスンを受けるようになりました。小学校の文集に「ピアニストになりたい」と書いていたようで、その頃には漠然とした憧れがあったのだと思います。小・中学校時代は学校から帰ると練習に追われる毎日でしたが、先生や友人に恵まれ、とても楽しい9年間でした。体育や休み時間に友達とキックベースをしたのも良い思い出です。本当は野球部に入りたかったのですが、諦めてキャッチボールだけ楽しんでいました(笑)。


思い出に残る旭での演奏会はありますか。

(風さん)初めて演演奏したのは、市民が参加できる「グリーンコンサート」でした。東総文化会館という大きなホールで素晴らしいピアノを演奏できて、とてもうれしかったです。子どもの頃から慣れ親しんだ東総文化会館は、今でも特別な場所です。

(飛鳥さん)私は、平成23年8月28日に、兄と出演した東総文化会館での演奏会が印象に残っています。当時は大学1年生。東日本大震災が起きてからまだ半年ほどしか経っておらず、大きなショックと混乱の中で日々を過ごしていました。三善晃さんの「唱歌の四季」という作品を演奏しましたが、とりわけ「朧月夜」の演奏中に、不思議な感覚に包まれたのを覚えています。とても温かくて柔らかくて、張り詰めた心がほぐれていくような・・・。日本人の心に深く根差すメロディを通じて、お客様の中にも、同じように感じられた方がいたのではないでしょうか。

地元の方々と思いを共有した瞬間だったのですね。

実川飛鳥さん(飛鳥さん)そうですね。旭市で演奏すると、いつも皆さんに温かく迎えていただいていると感じます。当時留学していたオーストリアから、2年ほど日本に戻らない時期がありました。平成29年に、久しぶりの一時帰国でゲストとして呼んでいただいた、あさひ少年少女合唱団さんのスプリングコンサートでは「ようやく自分の家に帰ってこられた!」というような安堵の気持ちでいっぱいになりました。


地元の応援は力になっていますか。

(風さん)はい。旭市での演奏会では、子どもの頃から応援してくださっている方々が足を運んでくださって、まるでホームにいるような気持ちになります。東京でのコンサートにも旭から足を運んでくださる方がいて、終演後にお会いできると本当にうれしいです。先日、名古屋で演奏した際も、旭市出身で名古屋市在住の方が聴きに来てくださり、母校の話で盛り上がりました。

實川風さん

旭市で育ったことが音楽に影響を与えている部分はありますか。

(風さん)あると思います。旭市の演奏会に来ていただいた方から「ここで育ったからこそ、伸び伸びとした自然体な演奏になるんだね」と言われたことがあります。私は都会よりも、田んぼなどの風景が広がる田舎が好きです。その影響が自然と音に表れているのだと思います。子どもの頃を旭市で過ごしたからこそ、今の自分があると感じています。

ご自身にとって旭市はどんな場所ですか。

(飛鳥さん)私にとって旭市は「エネルギーをもらえる場所」です。田んぼの風景を眺めていると、安心感と力強さに包まれます。友人と「大都市と田園地帯と、どちらにいるときに、より孤独を感じるか」と話したことがあるのですが、私は「大都市」と答えました。道ゆく人の数は多いけれど、一人一人の間に壁があるようで、かえって物寂しさを感じてしまうのです。旭市ののんびりとした空気はとても居心地が良く、私の性格や価値観の根っこになっているように思います。

実川飛鳥さん

お二人とも田園風景がお好きなんですね。

(風さん)はい。通っていた共和小学区の北側に広がる干潟八万石の風景が好きです。特に、田植え直後の水面に景色や夕日が映し出される田んぼを見ると、心が落ち着きます。

(飛鳥さん)私はもう少し季節が進んで青々と稲が育った夏の田んぼが大好きです。真っ先に思い浮かぶのは、東総広域農道から見渡す限り広がる田んぼの風景。青空と緑のコントラストが鮮やかな昼も、虫の音と家々の灯りが浮かぶ夜も、子どもの頃から大好きです。

實川さん


ほかに思い出の場所はありますか。

(風さん)飯岡の刑部岬です。父に連れられて夕日を見に行ったことを覚えています。

(飛鳥さん)そうそう。特別なことをするわけではなく、普段の日にただ景色を見に行っていました。

旭市の魅力を教えてください。

(風さん)野菜や肉、魚など、食べ物が新鮮でおいしいところです。果物ではイチゴやメロン、ナシも絶品です。今は県外で暮らしているので、ふるさと納税で旭の食べ物を取り寄せています(笑)。旭市は美しい自然やおいしい食材に恵まれ、人を惹きつける魅力にあふれていますね。

(飛鳥さん)最近は、市内にもおしゃれなレストランが増えていますよね。都内の同じようなお店と比べても、旭市の飲食店の料理はおいしいと思います。やはり食材が良いからでしょうね。移住された方からも「食べ物がおいしい」という話を聞きます。

(風さん)あと、お店や病院もそろっていて住みやすいまちですね。都内での仕事が多いので今は東京に住んでいますが、妻も旭市が気に入っていて「一度旭に住んだら東京に戻れなくなるかもね」と話しているほどです(笑)。

實川さん

今後の目標や抱負を教えてください

(風さん)クラシックは「堅い」というイメージを持たれがちですが、生の音には心を揺さぶる力があります。普段はスマホで音楽を聴いていても、生演奏の場では音の美しさや楽しさを体感できます。非日常を味わっていただけるよう、毎回のコンサートを大切にしながら全力で取り組んでいきたいです。

(飛鳥さん)もっと多くの方がクラシック音楽に触れて、思い思いにお気に入りの曲や作曲家、演奏家を見つけて楽しむ・・・、そんな世の中になったらうれしいです。さらにもう一歩、スマホで楽しめる音楽配信サービスも良いけれど「やっぱり生演奏は格別」と思って、気軽にコンサートへ足を運んでもらえるようになったら最高ですね!私個人の抱負としては「なんて素敵な曲なんだろう、またこの曲を聴きたい」と思っていただけるような演奏を、一度でも多く重ねていきたいです。
實川さん 実川さん

旭市20周年へのコメント、市民へのメッセージをお願いします。

(風さん)小学生の頃、1市3町はまだ別々で、中学3年生のときに合併があり、市名を公募していたのを覚えています。新しい市になるときはワクワクしました。あれから20年も経ったのかと思うと驚きです。これからも東総地区の活気あるまちとして発展してほしいですし、私も音楽の力で旭市を元気にできるように頑張りたいです。

(飛鳥さん)旭市20周年、おめでとうございます。人々の温かさ、温暖な気候、美しい風景、そしておいしい食べ物に恵まれた旭市が、これからも生き生きとした、幸せにあふれるまちであり続けますよう、心から願っています。

 実川さん

色紙メッセージ
(薫さん)旭市20周年、おめでとうございます!!ふるさとの旭、大好きな街です。これから、さらに素敵な街にしていきましょう!!
(飛鳥さん)旭市20周年、おめでとうございます!!活き活きとして、あたたかな旭市が大好きです!!ますます幸せな街にしていきましょう!!