濤川 惣助(なみかわ そうすけ)
世界が絶賛した日本の七宝焼の中興の祖

濤川 惣助
(1847年〜1910年)
金属の上に色とりどりの釉薬を使って美しい絵を描く七宝焼。明治時代、この七宝焼において、無線七宝という技術を確立し、日本の七宝焼の技術力の高さを世界に示したのが、海上町出身の濤川惣助です。
農家の次男として、弘化4年(1847)鶴巻村蛇園(現在の海上町蛇園)に誕生した濤川惣助。明治元年、17歳の時には、江戸で小間物商として働いていました。明治10年、第一回勧業博覧会会場で七宝焼を目にした惣助は、七宝焼は日本を代表する輸出品となると確信。自ら七宝焼の技術改良に打ち込み、無線七宝と濃淡の発色という二つの高い技術を融合させた作品によって、明治14年の第二回勧業博覧会で、名誉金牌を受賞しました。
現在も迎賓館に飾られている作品群

迎賓館
その後も七宝焼の技術革新に挑み続けた惣助は、明治16年にアムステルダムで、明治18年にロンドンでそれぞれ開かれた万国博覧会でいずれも金牌を受賞。明治22年のパリ万国博覧会では名誉大賞を受賞し、日本の七宝技術の高さを世界に示しました。また、明治29年、帝室技芸員に任命され、現在も迎賓館には、惣助の手による32面の七宝壁飾額が飾られています。その繊細な色と緻密な造形は、明治時代の七宝焼の技術力の高さを余すところなく、今に伝えています。
作品紹介
迎賓館の大食堂に飾られている作品の一部を紹介します。







- 最終更新日:2004-2-2
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